中庸、ときどきラディカル

小谷野敦『中庸、ときどきラディカル』、筑摩書房、2002

著者の相変わらずの「論争戦記」。中心になる敵は「アホなフェミニスト」だが、議論はナショナリズム、教育にも広がっている。一番おもしろく読めたのは「文学者の教育改革案」。実際に笑ってられる場合じゃないのだが、著者があげているような「品詞という概念がわからない大学生」「王女と女王の概念の違いが理解できない大学生」は実際にいるからねぇ・・・。大学の数自体が多すぎるという著者の考えにも同意。まあ現実には大学間格差はどんどん広がる一方なので、大卒というラベル自体意味がなくなってきてるのだが。

考えさせられたのは「「近現代史論争」に関するノート」。確かに天皇ナショナリズムの基盤としての地位からすべり落ちかかっていて、マルクス主義の影響力がこれくらい小さくなると、右翼左翼という概念のよって立つところがあいまいになっている。現実には「敵」と「味方」の泥仕合は続けられているので、「右翼」「左翼」の亀裂は死んでいるわけではないのだけど。やはり右翼も左翼も「自分はどういう点で右翼、または左翼か」という点をはっきりさせないといけないのではないか。そうすることで泥仕合がもうちょっと整理されるように思うのだが。

著者の主張は「主張は攻撃するが、人間は攻撃しない」という点で一貫している。これは簡単なようで、なかなかできないことだとおもう。