バシャール・アサド 独裁と冷血の処世術

BS世界のドキュメンタリー」、「バシャール・アサド 独裁と冷血の処世術」、NHKBS1、2017.5.23


金正恩と並ぶ時の人、シリア大統領のバシャール・アサドのドキュメンタリー。制作はフランスのテレビ。アサドと妻が車にのる映像が出てる。内戦前にフランスのテレビが取材したもの。自分で運転して、奥さんを助手席に載せている。テレビ取材とはいえ、普通っぽい。

バシャールは、ロンドンで医学を勉強していて(奥さんも当時、知り合った)、1994年に後継者に予定されていた兄が死亡して、権力を継いだ。6年後に父が死んで、大統領になった。初めは父のハーフェズに比べて線が細いと思われていた。

アメリカのオルブライトと、バシャールがなかよく話している。普通だわ。各国の使節も引見している。フランス大統領特使のマリニは、バシャールに非常に好感を持っている。

バシャールは、独裁体制を改革するというポーズを取り、フランスも訪問してシラクと会談した。結局改革などできず、それはあきらめた。アサド家はアラウィー派。権力を手放せば、ただではすまない。国内の敵は容赦なく暗殺。2005年のレバノンでの爆弾テロで、アメリカとフランスはバシャールから手を引いた。

そこでバシャールはイランに接近、ロシアとも手を結んだ。部下には厳しく、父親への対抗心がすごい。フェイスブックもやっていた。

バシャールはフランスに再接近、フランスを訪問した。フランスはテロに対抗するパートナーが欲しかった。バシャールは厚遇され、喜んでいた。2010年にはアメリカの使節がシリアを訪問。アサドはまた喜んだ。

2011年、「アラブの春」が始まり、バシャールは、学校の落書きを見つけて生徒を逮捕。これで全国規模のデモになり、バシャールは軍を出動させてデモを押しつぶした。自分から、「シリアは内戦に入る」と宣言、軍の一部は反体制派に寝返り、泥沼になった。

反体制派に、カタール、トルコ、サウジアラビアがついた。理由はアラウィー派が嫌いだから。いったんは国土の半分を反体制派が抑えたが、バシャールは軍民の区別なく、反体制派を虐殺。シリアからは難民が流出した。

2012年に国連安保理が仲介して、政府側と反体制派に暫定政府を作らせようとした。この時ロシアはシリアを手放したくなかったので、バシャールを守る方についた。

2013年、イランとロシアの支援でバシャールはなんとか持ちこたえていた。バシャールが強硬な態度に出たのが幸いし、少数派がバシャールに結束。化学兵器攻撃でまた住民多数が死亡。アメリカとフランスがバシャールを攻撃しようとしたが、オバマがためらって攻撃は中止。オバマはシリアに深入りしたくなかった。

2014年、バシャールは、西側が自分がいなくなった後の混乱を恐れていることを見抜いて、また強硬に出てきた。ジハーディストを利用して、西側を脅した。バシャールはISを支援、敵の敵は味方ということ。バシャールはISから石油を買っている。時に応じて、ISと戦ったり、協力したりして活かしておいている。

バシャールの戦法はメディア利用。自分を取るか、ISを取るか、どっちかで、自分が倒れれば過激派が支配することになるという論法。これがかなりきいた。

ISは西側に爆撃され、反政府勢力への支援は控えられた。戦争そのものは膠着状態。2015年、バシャールはロシアを訪問、プーチンと対IS戦について話し合いをするといいながら、ロシアに空軍を派遣させ、反政府派を爆撃させて、バシャールは優位にたった。西側は事態を傍観。

2016年、アメリカとロシアはシリア停戦で合意。事実上、バシャールの権力を認めることになった。結局、バシャールの、テロリストか、バシャールかの二択が成功した。アレッポはバシャールが落とした。

バシャールの元部下(亡命中)がバンバン話しており、バシャールはとんでもない奴だと言っている。それはそうだ。アサドは、実利しか考えていない人。この状況を乗り切っているのだから、只者ではない。金正恩と違うのは、メディアを利用し、国際世論を味方につけられるところ。やり手だわ。