日本発見 大分県

「日本発見」、「大分県」、1961


ここは行ったことがないか、行ったとしても通過しただけの県。なので、昔と今の比較は簡単にできないが。

最初の映像は、高崎山のサル。もう観光客で大人気。これは今も同じか。

県南部は、リアス式海岸で交通は不便。高校生は船で学校に通っている。海でやっているのは真珠の養殖。これは今でも続いている仕事。漁村では養豚もやっている。傾斜地の段々畑ばかり映っているので、農業は厳しいだろう。

津久見湾にはセメント工場がある。これも現存。あとは銅精錬。

大分県は昔から海運の要所だったから、考古学、民俗学の遺跡が多い。大友氏が支配していた時期のキリスト教徒の墓もある。といっても、大分市の遺跡はb戦争で焼けてしまったところが多い。火葬場では、なぜか葬送に尺八を吹いている。昔はこんな風習があったのか?墓地公園も紹介されていて、やたら墓地が強調されているが、なぜなのかは不明。市内には路面電車が走っている。

県北部は、阿蘇火山帯に連なる溶岩地帯。由布岳、切株山、岩扇山、みんな火山関係。耶馬溪も火山浸食でできた地形。もちろん青の洞門と羅漢寺も映っている。

日田市は水郷の町。船はもちろん手漕ぎ。これは今では変わっているだろう。九重連山の麓は、元は沼地で明治以後の開拓地。水田だけでなく、野菜と酪農をやっている。乳牛だけでなく、羊もいる。大原野は、まだ開拓が始まって日が浅いところ。ここでも火山灰土と格闘している。道路整備ができていないので、交通は非常に不便。開拓地では、電気が来ておらず、夜はランプ生活になっているが、開拓者は「電気よりまず道路」と言っている。

ここでやっと別府。船が着くと、観光ガイドの吹奏楽団があまり上手でない、「錨を上げて」を演奏している。ここは大分市よりも、よっぽど人がたくさん映っている。地獄めぐりは今も変わらない名物。「坊主地獄」「龍巻地獄」「海地獄」と盛りだくさん。ゆでたまごの値段が3つで50円と言っている。ワニの養殖もやっている。別府の旅館は800軒、観光客は600万人。土産物屋は、夜も人でいっぱいだ。湯治場の中には、1泊200円の木賃宿もある。

終わりには、大分と鶴崎の間を埋め立てて工業地帯の造成をやっているところが映る。1960年代初めなので、「工業地帯で発展」で締めるのはどこの県も同じ。今はすっかり「おんせん県」だが。