日本発見 千葉県

「日本発見 千葉県」、1961


この当時の千葉県で何を映すのかと思ったら、最初は成田山新勝寺。このころから、もう交通安全祈願はこの寺の主要な収入源になっている。

千葉県は、三方は海、それから利根川と江戸川に囲まれていて、四周すべて水。主要作物は大豆と小麦。いまも大豆は作っているが、小麦もやっていた。これを原料にしていたのが、野田の醤油。キッコーマンのトラックが映っている。生産高は全国の23%。

利根川下流佐原市は、日本水郷。子供が小舟で学校に通っている。学校にもちゃんと船着場がある。船は当然エンジン無し。両総用排水路の巨大な施設もある。これで耕地は大幅に拡大したと言っているが、今はどうなっているのだろう。

九十九里浜は、ひたすら砂浜。ここは昔も今もそれほど景色は変わらないと思うが、この頃の主要産業は漁業。砂浜に船を揚げ、出漁の度に人力で船を海に押し出すのだ。これはたいへん。夏はともかく冬も半ば水に浸かって、船を出さないといけない。30トンくらいの船だが、2隻でイワシを曳き網ですくい取っている。収入は、一番稼げる漁師で、月収25000円だという。

銚子は千葉第一の漁港。水揚げは日本第6位。この頃は次第に遠洋漁業に移行している。

房総半島南半は、酪農が盛んな所。それに花卉栽培。男は漁業で、女は農業なので、女性も非常によく働く。海女も出てくる。70歳を過ぎても潜っている人がいる。

西側の内湾は、ちょうど埋め立てを行って京葉工業地帯を建設する途中。まだこの頃は工場ができつつあるところ。人口は、東京、神奈川が1000万人以上なのに、千葉内湾側はわずかに62万人という。この頃は五井市の埋め立てをやっているところ。それでも、市川、松戸、柏、成田はベッドタウン化していて、たくさんの通勤客が駅に吸い込まれていく。

この作品は、千葉が完全に東京のベッドタウンになる途中が映っている。千葉市すら全然映っていない。千葉のような東京隣接地域こそ、高度成長で一番変わったところなのかもしれない。