三匹の侍(1964 映画版)

三匹の侍」、丹波哲郎平幹二朗長門勇ほか出演、五社英雄監督、松竹、さむらいプロ、1964


これはテレビドラマ版も全く見たことがなかったのだが、傑作。丹波哲郎が三匹に加わったテレビ版はもう見ることができないので、これを見るしかない。

三匹、丹波哲郎平幹二朗長門勇は、お互いに知らない間柄から始まるのだが、三匹が手を握るのは話の最後の方になってから。それまではバラバラ。特に平幹二朗は、敵とも味方ともつかない曖昧な立ち位置だが、この設定がいい。最初から仲良しでは、緊張感は出ないのだ。

丹波哲郎は、代官の娘を人質に取って領主に強訴しようとする百姓らを思いがけず助けることになり、最初代官についていた長門勇も、事情を知って百姓につく。平幹二朗は、代官の飼い犬だが、簡単には動かない。

丹波哲郎は、代官の娘を返し、代わりに百姓を助命するように代官と約束するが、そんな約束を守る代官ではなく、百姓は斬られ、丹波哲郎も水牢に入れられる。改心した代官の娘と長門勇に助けだされるが、代官の刺客に襲われたことで平幹二朗丹波の側につき、丹波と平は水車小屋に立てこもる。

長門勇は、百姓女に惚れて一時は丹波を裏切ってしまうが、改心して水車小屋に立ち戻る。その頃領主の家臣(青木義朗)が行列の先導で村を通り、代官を無能として謹慎させ、自分で手勢を率いて水車小屋を襲う。ここからがクライマックスで、青木義朗の軍勢と三匹の決戦になる。

しかしこの決戦でハッピーエンドにならないのがこの映画。斬られた百姓の直訴状を拾った丹波は、それを生き残った百姓らに渡して直訴を促すが、命が惜しい百姓は黙っているばかり。謹慎させられている代官を斬りに行くが、娘の哀願で結局斬れない。

何も得るところのなかった三匹が、あてどない旅に出るところで終わり。


登場人物の造形がしっかりしていて、ただの悪役やバカは出てこない。代官や青木義朗にもそれなりの理由と知恵があり、類型的な悪役ではない。三匹も、途中まで平幹二朗丹波の苦境を傍観しているし、長門も仲間を裏切りかけたりしていて、単純ではない。代官の娘の変化や、女郎屋の女主人の複雑なキャラなど、脇役にもすべて行き届いた配慮と造形がある。

脚本は、阿部桂一柴英三郎、岸本吟一、五社英雄。これがテレビドラマ第1シリーズの脚本家。五社英雄はこれが映画監督第1作だが、ほとんど完成された出来。テレビ演出家としてのキャリアがあるのでおかしくはないが、水車小屋の狭い空間の使い方や、白黒の光と影のはっきりした画面など、どこを見ても非常にうまい。

音楽は津島利章。この音楽が、不協和音がたくさん入ったちょっと前衛的なつくりで、初期にはこんな曲を書いていたのかということに驚いた。


この元のテレビドラマシリーズが、「三人の侍が旅をする」という設定の原型だということはよく理解したが、この映画には甘いところがほとんどなく、話の結末も非常に苦い。これをきちんと見せているのは、それだけ作品の出来が卓越しているということ。ドラマ第1シリーズが残っていたらよかったのに…。