原爆の子

「原爆の子」、乙羽信子滝沢修北林谷栄ほか出演、新藤兼人監督、近代映画協会劇団民藝、1952


これは相当キツイ映画。講和条約発効後、すぐに公開された映画で、つまりは占領軍の検閲がなくなったのでやりたいことをやりました、というもの。内容はというと、ひたすら悲惨である。最初は瀬戸内海の小島の小学校で乙羽信子が働いているところからなので、のどかなイメージだが、乙羽信子が広島に行ってからは話が一変。

原爆投下の瞬間から、広島で生活している人の悲惨な状態がバンバン映りまくる。乙羽信子の目的は昔幼稚園の教諭をしていたころの子供を訪ねて行くことなのだが、一番悲惨なのは、滝沢修演じる乞食爺と、その孫の太郎。この太郎が広島ではまともな教育も受けられないから、という理由で乙羽信子が島に連れて行こうとするのだが、滝沢修はこの孫一人しか家族がいないので、どうかこの子を連れていくことは勘弁してほしいと泣いて頼む。

乙羽信子はかなり強引に滝沢修に迫っていて、これはこれで相当残酷。しかし残酷のレベルはどんどん上がる。滝沢修は、孫が島に行くことに納得するのだが、孫自身が行きたがらない。そりゃそうだ。ではどうするのかといえば、滝沢修は、自分の小屋に火を付けて焼身自殺するのである。滝沢修は火傷で苦しみ抜いて死に、孫の太郎は、乙羽信子に連れられて島に渡るのでした、というおはなし。

すべてが直球。「夕凪の街桜の国」のような間接的な抒情のようなものはほとんどなく、あるのは原爆への怨念と、生き残った人々の悲惨さばかりである。ここまで直接的にやられると、突っ込みどころがない。「夕凪の街桜の国」は、これを見ると完全にヌルいわ。

この直球描写のリアリティを支えているのは、映画のほとんどが広島ロケだということ。なにしろ講和条約直後なので、あるのはバラックだけ。ランドマークになる建物が映らない(原爆ドーム以外、ほぼ平屋のバラックだらけ)ので、どこがどこだかわからない。滝沢修の乞食小屋は、石垣の隣にあるので、おそらく広島城の近所だろうが、あとは相生橋くらいしかわからない。当然平和公園もないし、原爆資料館もない。「24時間の情事」では、街の風景でロケ地の見当がついていたのだが、この映画はほんとうに昔の広島を知っている人しかわからないだろう。

脚本は新藤兼人が書いているので、広島弁は完璧。劇団民藝の俳優が総出演しているので、出演者の演技にも文句はつけられない。これを公開時に見ていた人はどう思ったのだろうか。