日本発見 広島県

「日本発見 広島県岩波映画、1961


これは昔の観光案内映画。長さは30分たらず。しかも白黒だ。だが、この時代を映したものだから、価値がある。

冒頭は原爆ドーム平和公園だが、映っているものは、「厳島神社」。神社は変わっていないが、宮島の家が古いわー。「音戸の瀬戸」。音戸大橋がまだ建設中なので、渡船で人が渡っている。

「かきの養殖」と「真珠の養殖」。かきは今でもやっているが、昔は真珠の養殖なんてやっていたのか。これも知らなかった。「瀬戸内海島めぐり」。いまは過疎地になっている島々は一面、みかん畑。この頃がみかん生産が一番調子がよかったころ。江田島海上自衛隊第1術科学校もほとんど変わっていない。

次に移ったのは「耕三寺」。この頃から観光地になってたのね。この頃は耕三寺耕三がまだご存命なので、ちゃんとお姿が映っている。因島の造船所では、船台に船がたくさん乗っている。因島では、「港学寮」というものが登場。瀬戸内海にも家船という水上生活者がいたのだ。この学校は水上生活者の子供のためのもの。これは完全になくなってしまったものだからレア。船も動力船ではなく、手漕ぎだ。

対岸の尾道家船のたまりになっている。ここのお寺と路地はいまもそんなに変わってない。林芙美子志賀直哉は紹介されているが、さすがに「東京物語」は出てこない。

尾道つながりで、鞆と福山。福山にはいまのJFEの製鉄所の誘致だけが決まった頃で、まだ工業都市ではなかった時期。鞆の浦の風景だけはそんなに変わってない。

場所は県北部に移って、三次。霧の海と、子牛の市が映る。この牛は役牛。まだトラクターじゃなくて、牛でやっていたのだ。千代田町郷土史の文物を集めている人の家が登場。当然中国道などないので、千代田町は本当の田舎。まだ山陰地方と山陽地方の交通で食べていた頃だ。行商や神楽が映っている。神楽は今の様式よりも、ゆっくりしたテンポ。昔の奏楽はそういうペースでやっていたのだ。

やっと広島市になり、原爆関連施設の紹介になる。ここも今とあまり変わらないところ。しかし100メートル道路の両側に高い建物が何もないので驚いた。紙屋町から八丁堀に向かう道路を撮影しているらしいが、これも建物はすっかり入れ替わっているので、見当がつかない。カメラは比治山のABCCを映した後で、マツダの自動車工場が出る。工員数11000人と言っているので、マツダ東洋工業)の大きさがわかる。

最後は大竹とコンビナートが出てきておしまい。

1961年の映画と今の間で、変わっていないものは結局平和公園周りと厳島神社。後は尾道の寺とか、耕三寺とか、観光地はむかしのまま。変わったのは県北部と瀬戸内海沿岸の島の生活、この地域を工業化が押し流してしまう直前の姿が見られてよかった。広島以外の都道府県のものもやってくれることを期待。