昭和残侠伝

「昭和残侠伝」、高倉健池部良ほか出演、佐伯清監督、東映、1965


昭和残侠伝シリーズの第1作。古いスタイルのヤクザ映画である。設定は、戦後間もない浅草の闇市ということになっているので、場所はともかく、「仁義なき戦い」とダブって見える。

こちらが古典派なので、同じ闇市のショバ争いといっても、つくりはまったく違う。高倉健が属する正義のテキ屋神津組は、ヤクザという名前もはばかられる(ヤクザじゃなくて任侠道なのだから当然ですが)正義の味方っぷり。とにかく、最後の最後に来る殴りこみの場面まで、まったく手は出さない。ひたすらやられっぱなしである。

敵の悪徳テキ屋新誠会は、ひたすら悪の権化で、やることなすことすべて悪い。こっちは、親分が水島道太郎で、代貸が山本麟一。新誠会は闇市利権を神津組から取り上げようとしているので、神津組の若衆(これが松方弘樹、梅宮辰夫コンビ)を殺したり、神津組が作ろうとしたマーケットに火をつけたり、とにかく煽る煽る。

客のテンションを上げまくったところで、高倉健と客分の池部良が殴りこみ。高倉健はバンバン銃弾を喰らっているのだが、ターミネーターのように元気。当然、水島道太郎は追い詰められてブスリとやられてしまう。一方池部良は、「こんなので死ぬの?」とあきれるくらい、あっさり殺される。しかも、高倉健は最後まで生きていて唖然。このシリーズは、池部良が「必ず最後は死ぬ客分」という設定になっているので、文句を言いに行くところがないのだが、確かに2人とも生きているのもマズイわね。

役者は、高倉健池部良を別格として、三遊亭円生がカッコイイ。浅草の顔役みたいなものなのだが、圧倒的な威厳。さすが名人は貫禄が違う。池部良の妹役で、「ゴドラ姉さん」こと水上龍子が出ていてびっくりした。

自分が古典派ヤクザ映画をほとんど見ておらず、「実録もの」から見ているので、かなりキョトンとしてしまうのだが、同じ時代設定の「仁義なき戦い」と比べると、どこでパターン破りをしているのかがよくわかる。両者はヤクザ映画という状況設定が同じだけで、まったく別の映画。こちらは、むしろ講談とか浪曲の流れに連なるものだろう。この映画が作られた時点で、任侠というものが滅びゆく過去の残像であることはわかっていたはずで、だからタイトルが「昭和残侠伝」である。

現代劇を見慣れた人が歌舞伎を見るようなものだが、これはこれでアリ。普通に楽しめる。