流星空手打ち

「流星空手打ち」、高倉健山形勲浦里はるみほか出演、津田不二夫監督、東映、1956


「電光空手打ち」の続編。高倉健のデビュー第2作だが、前作以上になんだかよくわからない映画。

前作のキャストは、結局全員東京に移ってきた。といっても、ほとんどセット撮影なので、沖縄だろうが東京だろうが関係なし。

前作から数ヶ月後、東京大正博覧会だかなんだかで、東京に出ていった名越義仙(山形勲)を追いかけて、高倉健も東京に来るのだがなにぶん食べるあてがないので、乞食の親方(花沢徳衛)のところで乞食生活。それでも義仙のことを慕っているので、博覧会に義仙の唐手の演武を見にやってくる。その会場で、義仙の弟子の神田隆に見つかってしまい、先生のところに行こうと誘われ、ついでに前作で恋仲だった志那子(浦里はるみ)も東京に来ていると聞かされて、ダッシュで逃亡。

暴漢に襲われていた学生(波島進)を助けて、その実家の酒屋に下働きとして住み込むことになるのだが、前作で志那子と自分がもともといた知倒流の師匠の娘、恒子(藤里まゆみ)の両方から言い寄られていた高倉健。今回はその二人に加えて、波島進の妹、道でぶつかった芸者の合計4人からすりよられている。空手の映画というよりは、高倉健のモテ男ぶりが主役の映画みたい。

で、悪役の神殺知倒流は、藤里まゆみと師範代の赤田(岩城力)が揃って東京にやってきて、愛国党なる団体の用心棒になった。その地位を使って、こんどこそ義仙を追い落とし、高倉健に復讐しようというつもり。あいかわらず卑怯なのだが、試合を避ける義仙と高倉健をやたら卑怯卑怯とののしるので、おもしろすぎる。

愛国党と知倒流はまず義仙の道場を襲撃して、神田隆をカタワにしてしまう。さらにそれでは足りず、夜半に藤里まゆみとその弟の二人で高倉健を待ちぶせて襲撃。弟の技ではかなわないとみると、藤里まゆみが愛の告白で一撃。今度は高倉県が逃げてしまった…。

それではおさまらないので、愛国党とまたまた高倉健を襲撃。今度は、赤田がサイ(前回は十手かと思ったが、琉球武術の武器でした)を持ち、愛国党は刀を振り回して襲撃。しかし高倉健の気迫であっさり退散してしまう。

愛国党と知倒流は、義仙に迫って「どっちが強いか試合で決めろ」と押しこむが、義仙からは「唐手の技を正義の心がない者が使うのはキチガイに刃物」とののしられたあげく、義仙が文部大臣と話をして、「唐手」を「空手」に勝手に改名されてしまう。これではまるっきり立場がないので、今度は義仙を襲撃。サイと刀で追い詰めたところに、高倉健登場。義仙は戦ってはならん、と止めるのだが、赤田は高倉健の必殺技でひっくり返った。これで愛国党と知倒流は退散。誰もいなくなったところで、高倉健浦里はるみが抱き合っておしまい。


この映画、主要なキャストは誰も空手がちゃんとできない。山形勲は試合はしないことになっているからまだしも、高倉健、神田隆、岩城力ほか、誰も空手なんかできないのだ。したがって、肝心の果し合いは、「やーっ」と掛け声をかけて、適当にポーズをとってごまかしているだけ。というか、この映画でちゃんと型になっているのは、浦里はるみ琉球舞踊だけである。正義だ邪道だと言ったって、肝心の空手がスカスカではちょっと。

日本空手協会協賛って、ほんとかね。寸止め空手全盛期は、「空手の本質は技じゃなくて、空の心!」というポイントで売り込む必要があったのかもしれない。極真会館が空手の王道!みたいな作品ばっかり見ていると、この映画には目が点になるが、こういう時代もあったのだ。それにしても高倉健のキャラはおもしろすぎる。