第三次世界大戦 四十一時間の恐怖

第三次世界大戦 四十一時間の恐怖」、梅宮辰夫、三田佳子加藤嘉ほか出演、日高繁明監督、第二東映、1960


東映版「安い」世界大戦争東宝の「世界大戦争」から、まるまる特撮部分を抜いたものだと思えばよい。そしてこっちは白黒だ。

朝鮮半島で、北朝鮮が核爆弾を積んだアメリカの輸送機を撃墜したら、核爆弾が爆発して韓国軍大打撃、そこからあっという間に中共国府、米ソ、ヨーロッパ両陣営が参加して大戦争に、というおはなし。冒頭シーンで、高校生が「戦争反対」とか何とか言っていて、安保反対運動がこんなところに投影されていることを再確認。

おはなしは、「世界大戦争」がフランキー堺一家と、「連合」「同盟」両陣営の動きを追いかけているのに対して、こちらは、梅宮辰夫と三田佳子(この二人は恋人関係で、結婚するのしないのとモメている)とか、加藤嘉(こっちは銀行員)一家とか、いくつかの家族が出てきて、東京から逃げるの逃げないのとかで騒ぎながら進行する。

第二次朝鮮戦争が世界大戦へ、というのはいいとして、ほとんどラジオニュースと室内のセットだけで話が進み、もうちょっとなんとかならなかったの?と思う。しかし、特撮ほとんど抜きで、戦争パニックで逃げ惑う人々の話だけである程度話が保っていて、そこはうまくやっている。何しろ「世界大戦争」より、こちらの方が制作が古いのだ(わずか1年だが)。白黒の画面は、ショボイが、パニックを盛り上げることには貢献している。

それにしても、日本はアメリカ陣営なのにもかかわらず、登場人物にまるっきり当事者意識がなく、「アメリカの基地があるから、日本が攻撃される。単なる迷惑!戦争やめろ!」で、誰も疑問を感じていないところに時代を感じる。脚本の甲斐久尊は、このほかにはヤクザ映画、アクション映画ばかり書いている人なので、脚本家の個性というより、安保反対運動の時期にはこういう考え方が日本では普通だったということだろう。

核爆弾が東京に落ちてくるところは、東京タワーがぐんにゃり曲がって、国会議事堂は吹き飛ばされている。特撮といえば、まあこのくらい。あとはキノコ雲だけ。あたり一面死体だらけだが、核爆弾の死者だったら、こんなにキレイな死体のわけがないだろう。現に最初の場面では、高校生が見ている写真は焼かれて黒焦げになっている死体だし。一応劇場公開作品で、残虐リアリティを追求することははばかられたのかもしれない。

梅宮辰夫と三田佳子はデビューして、それほど間がない時期で、とにかく若い。梅宮辰夫は痩せているし、三田佳子もそういわれなければわからない。加藤嘉はそれなりに年食ってるが。

最後はアルゼンチンからのラジオで(だいたい北半球は全滅したらしい)、「人類28億人のうち、20億人死にました」と言っている。50年前の人口はこんなものか。この放送も、中波かFMかというくらいキレイな音声で、短波の聞こえにくさを表現するとか、もうちょっとリアリティを工夫すればイイのにと思う。