だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ

都築響一『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』、晶文社、2008

都築響一の書いた書評を集めた本。古いものだと1993年くらいからあるが、1999年になってから朝日新聞で書いていた書評が一番多い。原稿の長さからみると、日曜版の書評欄の中で2面使って大きく紹介される長めのコーナーではなく、短い字数でちょっと新刊を紹介するコーナーに書いていたらしい。

佐藤和歌子『間取りの手帖』みたいに、そこそこ売れた本も入っているが、そういうものは少なく、高田文夫監修、鈴木啓之吉田明裕編『コミックソングレコード大全』とか、はたよしこ編『DNAパラダイス 27人のアウトサイダー・アーティストたち』、井上明彦、曙団地『湊川新開地ガイドブック』、大西暢夫『ひとりひとりの人 僕が撮った精神科病棟』などなど、どこから見つけてきたのかよくわからない奇書が並ぶ。確かに本のタイトルは、著者が実践してきたことがそのまま表現されている。あとがきに書かれているが、このタイトルはミャンマーで狙撃されて死んだカメラマン、長井健司の「だれも行かないところは、だれかが行かなくちゃならない」からとって来られたのね。これはちょっとカッコイイ。

とにかく、この本に紹介されている珍本を掘り出すために、何倍もの数の本を買いまくっているのだから、著者はエラすぎる。作家や学者が仕事に必要な本を買っているのとは違って、著者が買っているのは、誰も読みそうにない、ほとんど役に立ちそうもない本ばかりである。

著者の朝日新聞での書評は、文章表現のトラブルがもとで、突然終了することになるのだが、そのてんまつを週刊文春に書いた文章が再録されている。トラブルの原因は、牧野智晃『トーキョーソープオペラ』についての、「自分の母親世代の熟女たちに昼メロのヒロインを演じさせた、おぞましくも見入らずにはいられない異色写真集」という文章が、朝日新聞の担当者に書き直しを求められたから。「おぞましい」という表現が、読者の中年女性に不快感を与えかねないからだという。著者は「怪しくも(妖しくも)」と直すことを提案するが、それもダメ出しされる。なんで朝日新聞がそんなことを気にするのか、読んでいてもよく理解できないのだが、とにかく新聞に「抗議があったら困る」ということだそうだ。朝日新聞なんか、記事に関することでしょっちゅう抗議を受けていそうな気がするし、そもそも抗議が来たら困るというのはジャーナリズムの態度としてどうなのか、と思うが、著者は「この程度の表現が通らないようなら、苦労して書く価値がない」という理由で自分から連載やめます、と言い出す。

朝日新聞の担当者が、「えっ、こんなことで!」と絶句したというくだりが、哀感と笑いを誘っていてなんとも言えない。新聞社というのは抗議を気にするわりには、執筆者の文章表現への姿勢をまるで気にしていないらしい。これで表現の自由とか言っているのだから、すごいなー。まあ、大会社というのはそういうものらしい。