ブラタモリ 江戸のゴミ

ブラタモリ」 「江戸のゴミ」、2011.3.3

もう2週間前に放送されたブラタモリ。この回は江戸のゴミ。

最初のゲストは鷹狩りの回に出てきた法政大学の根崎先生。神楽坂のあたりから、江戸のゴミ問題の痕跡を探し、さらに今のゴミ問題を考えましょうという趣向。

神楽坂から昔、ゴミ坂と言われていたあたりにあった、現、筑土八幡神社へ。ここで明治時代の文書を見せてもらい、「芥阪」の名前を見せてもらってから、むかしのゴミ坂へ。今は住宅地だが昔はゴミ捨て場。生ゴミから陶器のかけらまでいろいろ捨てられていたそうだ。大名屋敷と、町人街ではゴミ捨て場が違い、大名屋敷は独自のゴミ捨て場をもっていたとのこと。

それなら町人街のゴミ捨て場はいたるところにあったはずだが、昔のゴミ捨て場でそれとわかる地名はあまり残っていないらしい。それはそうだろう。次に袖摺坂というところの近くにあった五味坂という場所へ。しかし現地は坂ばかりで、袖摺坂と五味坂がどこだったのかがよくわからない。住民のおじさんに聞いてみると、詳しいという他の人を紹介してくれて、そのおじいさんによると、袖摺坂と五味坂は重なっていて同じ場所だと言っている。他のおじいさんやおばあさんを捕まえて聞いてみると、袖摺坂は知っているが、五味坂はない。まあよくわからないらしい。

浮世絵を出してきてみると、五味坂には昔も公衆便所があり、傘の下に男女の名前を書いた落書きやら、男性器の落書きやらが便所の壁に書かれている。やっていることは昔から変わらないらしい。

次に「ごみざかほどうきょう」と書いてある歩道橋へ。その歩道橋につながるところに「芥坂」がある。タモリによれば、ここは江戸市中引き回しのルートの一部にあたっていたとのこと。スタッフが早くゴミの話に戻せとせっついている。

17世紀半ばの御触書に、川に掃きだめのゴミを捨てるな、ゴミは船で隅田川の向こう、永代島まで捨てに行くようにと書かれている。ゴミを出しに行く日も決まっていたとのこと。路傍に適当にゴミや排泄物を捨てていたヨーロッパとは大違いだという話をしている。

それから法政大学に行って、根崎先生の講義を受けている。ゴミ捨て場の「永代島」はいまの深川、富岡八幡宮の近くにあったという。ゴミの運搬は、途中から商人がやるようになり、その商人が隅田川の浚渫もしていて、そのゴミと土砂を使って埋め立てをして出来たのが深川あたりの土地だったそうだ。

明治33年の「汚物掃除法」で、ゴミは埋め立てるよりも焼却しろということになったということで、次の目的地は夢の島にある新江東清掃工場。入り口にイルカみたいなキャラクターがあって、音声認識で客と受け答えをしているが、途中で誤動作。まあ、これもご愛敬。この清掃工場は一日1500台を受け入れる巨大工場。

焼却前のゴミ溜め場を見せてもらう。「ものすごく臭いですから」と職員に言われて、ちゃんとマスクをつけさせられている。このゴミ溜めに溜めてあるのはおよそ1万トン。23区から一日に出るゴミと同じだけあるそうだ。ゴミをつかんで運んでいるバケットクレーンや、焼却炉を見学。焼却炉の中は1000度くらいだという。

さらに一行は夢の島の向こうにある住居表示のない場所。途中で現在建設中の東京ゲートブリッジを眺めていく。目的地は中央防波堤埋立処分場。ここが現在一番沖合にある巨大な埋め立て地。処分場なのに、「缶を捨てるな」という表示があるのがおもしろい。到着したエリアは中小企業から出た産業廃棄物を埋め立てている場所。所々からパイプが出ていて、そのパイプからは埋め立てられたゴミから出るメタンガスが逃がされている。

処分場の向こうには「東京灯標」という灯台があり、そこが東京都の境界なのでそこまでがこの処分場の埋立限界だと言っている。あと50年くらいで満杯になるらしい。

最後に埋立処分場をクレーンの上から観察。タモリは高いところがキライなのだがニコニコしている。遠くにスカイツリーが見え、スカイツリーの高さがうかがえる。処分場は広大で、住居地ははるかかなた。ここは普通に立ち入りできないところなので、この眺めは貴重品。

この次の回は「東京タワー・芝」だが、今期の新作はこれが最終かな?