ブラタモリ 池袋・巣鴨

ブラタモリ」 「池袋・巣鴨」、2011.1.27

ブラタモリの新作が続いてうれしい。先週の木曜日の放送は、池袋・巣鴨編。

明治に池袋に鉄道が走った当時の写真がうつるが、一面、田畑ばっかり。完全に農村である。ガイドは、豊島区立郷土資料館の学芸員の人。この人が古地図を取り出して、「これはどこだかわかりますか」と聞くと、タモリは一発で「雑司ヶ谷ですか」とあてている。すごいなあ。

この雑司ヶ谷村の端にある「丸池」という池から池袋の地名が出ているとの説が、学芸員氏の説だが、タモリは納得いかないとごねている。これには異説があって、窪地がもともとあって、袋のような地形だから池袋という話もあるそうだ。昔の池袋村の中心は、今の池袋駅よりもずっと北にある。駅から10分、北に歩くと「池袋本町」という地区になり、そこが昔の池袋だったとのこと。今は小さな商店街。

村絵図をたよりに、池袋の由来になった地域を歩いているが、いまは道路になっているところが昔は川になっていて下は暗渠。その道を進んでいくと、川はないのに小さな橋があり、ここが川の合流点だったらしい。「袋」は川と川との合流点につけられた名前だそうだ。

池袋駅に戻り、ここからはガイドが代わる。林先生という建築、土木関係の著述家。今の山手線をつくるときに、かつての赤羽線京浜東北線だけがあって、その間がつながっていなかった。もとは目白駅から田端駅に線を引く予定だったのが、何もない池袋に駅を新設してそこから新線を引いたのだという。目白駅は崖を人力で切り通して作った駅で、そこから線路を曲げて分岐させるのは難しかったそうだ。今の池袋周辺の発展は鉄道建設のおかげだという話。

次は巣鴨駅に移動。巣鴨駅のロケではタモリと久保田アナがマフラーをしているので、ここはロケ日が違ったのだろう。巣鴨地蔵通り商店街は、昔の中山道だったらしい。平日なのに人がいっぱいだ。途中のお店で大福を買う一行。ロケ隊はみんなの注目の的になっている。道には菊のデザインが随所にあるが、昔の巣鴨は菊づくりを得意にする植木屋が多かったとのこと。染井村といっていたあたりは、昔は植木屋だらけだったそうな。

歩いていくと、墓地のとなりに曲がりくねった道があり、そこは昔は川だったとのこと。専修院というお寺があり、そこは植木屋の親玉の店だったそうだ。ここでさっきの郷土資料館の学芸員がまた登場。この植木屋地帯は、昔の台地の際にあり、かつては筑波山まで見通せたらしい。染井は行楽地だったので植木屋も繁盛したとのこと。ソメイヨシノももちろん、ここから出ている。町内会が最初のソメイヨシノの世話をていねいにしているという。

染井から東の方に歩いていくと、旧古河庭園。ここでガイドは法政大学の岡本先生に交代。古河邸からちょっと下がったところに、西洋式のバラ園、その下にツツジの植え込みがあり、さらに下は日本庭園。崖の落差を利用して、いろいろな景色を見られるように工夫されている。古河邸の応接室からはバラ園が見渡せるようになっていて、室内の意匠はすべてバラ。二階に上がると、和室があり、そこからは、今は樹木に隠れているが昔は日本庭園が見えるようになっていた。財閥の邸宅というのはいろいろ工夫されているのである。

タモリは、台地の地形と川、崖を利用していろいろな町ができているところを見られて非常に満足そう。今回もおもしろかった。