ブラタモリ 築地

ブラタモリ 築地」、NHK、2010.10.7

ブラタモリが半年ぶりに再開。続編やるといいなあと思っていたのでよかった。今度はなるべくハードディスクに貯めないように、まめに見ていきたいと思う。再開第一回は築地。案内役は中央区の文化指導員というわりと若い人。当然市場から始めるのだが、午後からロケをしているので市場は閑散としている。場外市場へ行き、包丁店で「マグロ包丁」を見る。マグロを切る専用の包丁でとにかく大きい。使うときには切れ味を維持するために毎日研いでいるそうだ。

次にお寺。妙泉寺というビルの4階にあるお寺を訪ねていく。ビルの上だがけっこうりっぱな仏座がある。いま市場になっているところは昔はすべて寺で、ここは寺町だったとのこと。「築地」という地名は、昔ここが海で埋め立てて土地をつくったことに由来しているのだそうだ。上の階、屋上に上がるとそこは墓地と鐘つき堂になっている。鐘は自動でつくしくみになっている。手間がたりない寺はこういう機械をもっているのだ。

次にもうひとつの小さいお寺、圓正寺へ。ここはビルではなく寺の形が残っているが、一階は場外市場のテナントとして貸している。次に築地本願寺へ。昭和初期に震災で建て替えられる以前の建物の絵が見せられるが、当然のようにふつうの寺院建築。カメラを築地本願寺のドーム部分に入れたり、関東大震災の様子を記録した古いフィルムを見せたりする。震災直後の築地は一面、焼け野原である。

境内にある四角い鉄板を開けると、そこは地下室への入り口になっていて、昔の防空壕だったようだ。酸欠にならないようにパイプで空気を吹き込んだ上で地下に降りていくと、かなり広いスペースがあり古い木材が積み上げられている。200人を収容できるだけの壕になっている。

古い絵とCGで街の様子を一望すると、ランドマークは築地本願寺だけであとは小さい建物だけ。それから本願寺の裏、築地六丁目、七丁目へ。ここは住宅街で、しかも戦争の被害を受けなかったので古い建物がそのまま残っている地域。アマチュア無線の古い標識をかけている家に入ると、よくしゃべる爺が出てきて、築80年というこの家のことをいろいろ話す。昔は旅館で、地方から仲買に出てくる人のための宿だったらしい。おみやげにと、タモリに古い無線機をくれるのだが、使い道がなさそうな・・・。

再び一行は市場に戻る。震災をきっかけにまず場外市場ができて、その後昭和十年に築地中央市場ができたとのこと。その一角に「旗山」と書かれた石碑がある。ここには軍艦操練所、海軍省とその付属機関があったとのこと。そのなごりで、海上保安庁海洋情報部という施設があって、海図を作っている。日本で初めての海図を出してきている。陸中海岸の小さな海図だがタモリは地図の様式についても知っている。さすが。

昔の測量具(ロープとおもり)を使って、水深を測る作業の実験。錘の底に脂をぬり、海底の物質を付着させて様子を調べるとのこと。築地市場の水深は4メートルでした。

次に今はマンションが建ち並ぶ中央区明石町へ。ここは昔外国人居留地で、学校も多くあり、明治学院雙葉学園、女子学院、青山学院、立教学院等々、ミッション系の学校は最初はみなここにあったらしい。古い絵を見ると外国人居留地だったころの街の様子がきれいに描かれている。

最後は築地市場に隣接するビルの上から、築地市場を一望。今は朝日新聞、がんセンター、海上保安庁、市場になっている広大な地域は昔は全部海軍関係の施設だったということでした。久保田アナは「築地を歩いたのに、おすしがたべられなかった」とぶつぶつ言っていた。おつかれさまでした。