ブラタモリ 神田

ブラタモリ」 「神田」

ブラタモリの再放送。「神田」と「新宿 大久保」の2回分だった。で、まず「神田」の回。神田といえば、古書街と学生街。ちょうどロケが神田古本まつりにあたっていて、人が多い。しかし、古書探しの客は本に集中していて、タモリに興味を示す人はいないようす。

案内人は、日本文学者のロバート・キャンベル。まずタモリを古地図専門の店に連れて行く。戦争中、豊島区の空襲被害の実測図がある。個人のアルバムも扱っていたりする。「駕籠図」という薄紙で特別に使った江戸の地図が倉庫から出てきて、値段は300万円。次に倉庫から出てきたのは明治12年の「神田区」の地図。神田には、東京大学外国語学校学習院が並んでいて、もともと湯島聖堂昌平坂学問所があったことが、今にいたる学生街の起こりだったと説明される。古書街は、その需要に応じて後からできたのだという話。

次にお茶の水駅を通って、湯島聖堂へ。途中で神保町駅で見つけた都営地下鉄のマークの説明。青の線がぐるぐる入った逆三角錐が回っているのが都営地下鉄のマークなのだそう。目立たない場所にあり、知っていなければわからない。

湯島聖堂では、大成殿へ。明治5年にここで日本最初の博覧会があり、名古屋城からしゃちほこをわざわざ持ってきたり、サンショウウオを展示したりしたとのこと。学問所が廃止された後、しばらくここに文部省がおかれていたそうだ。

それから聖橋に戻ってきた一行。中央線と丸ノ内線が交差しているところ。「聖橋」の名はニコライ堂から来ているそうだ。ニコライ堂明治24年に出来たものが残っている。中にテレビカメラが入るのは初めてらしい。ドームは35mあり、昔の絵や写真を見ると、高い建物はまわりにないので、ニコライ堂は周りを睥睨して建っている。当時、ニコライ堂上の鐘楼から写したパノラマ写真が出てきて、東京中が一望できる。一行は実際に鐘楼にのぼって、鐘をつかせてもらっている。

神田古書街は昔からよく行っていたが、湯島聖堂ニコライ堂には行ったことがなかったので、おもしろかった。後はやっぱり昔の東京の写真。高層建築がほとんどなかった時代の東京の写真は、見渡す限り小さな家ばかり。これなら富士山も東京中からよく見えただろうと思う。