狼よさらば

狼よさらば」、チャールズ・ブロンソン、ヴィンセント・ガーデニアほか出演、マイケル・ウィナー監督、アメリカ、1974

非常におもしろかった。このタイトルだが、原題は"Death Wish" 。日本語タイトルはこれ以前のブロンソン映画のタイトルを適当にくっつけたもの。

技師のチャールズ・ブロンソンの妻と娘がチンピラに押し込まれ、娘はレイプ、妻はボコボコにされる。まあ命は助かってるだろうと思ったら、妻は死んでしまっている。娘も事件のショックで廃人同様に。そこでチャールズ・ブロンソンの復讐が・・・、と思ったら、それほど単純な話ではなかった。

ブロンソンは、子供の頃の体験で銃は持たない主義。しかし出張先でたまたま銃の試射をしてみたところから、銃にめざめてしまい。あっというまに名人級の腕に。そして、ブロンソンがはじめるのは、街のチンピラ狩り。これはある意味復讐と言えないこともないのだが、厳密にはそうではないのである。まずブロンソンは妻と娘を襲った犯人を狙っているわけではない。狩る対象はぜんぜん関係ないチンピラである。そしてブロンソンがチンピラを狩る動機は妻と娘のためではない。後の方で、娘の婚約者が廃人同様になった娘にほとんど心を動かされないブロンソンに驚き、それに対してブロンソンは「過ぎたことをいつまでも悔やんで何になる」というような台詞を吐く場面がある。

ブロンソンは、チンピラが現れそうな場所にわざわざ襲われるために行く。そして強盗どもが現れると、1890年式のリボルバーで次々と撃ち殺す。これを何度でも繰り返すのである。ブロンソンは、チンピラを自分から挑発しているわけではないので、この行為そのものは正当防衛がぎりぎり成り立っているかどうかの境目で成り立つと思う。しかし、ブロンソンの目的は自衛ではなく、あくまで街のチンピラに死の懲罰を与えることにあり、やっていることの趣旨は悪人に対する私刑にほかならない。

ブロンソンの立ち位置は、個人的な復讐や正義の執行ではないのであり、新聞やテレビで騒がれるように、"vigilante"=「法を侵害する者を、私的に、法によらずに処罰する者」である(字幕は「自警団」となっているが、これだけでは本来の意味は伝わらない)。これをあくまで沈黙の中で、ヒロイズム抜きに実行するところがブロンソンの真骨頂。ブロンソン自身も途中で負傷して病院に運ばれるのだが、そんなことではブロンソンの「処刑への意思」はまったくゆるがない。

警察(ヴィンセント・ガーデニアがかっこいい)は、捜査の網を縮めて結局ブロンソンの犯行であることを突き止めるのだが、入院しているブロンソンに対して証拠品の拳銃を出して、「街を出て行けば、この銃は川に捨てよう」と言い出す。処刑人ブロンソンは、シカゴに居を移し、相変わらず私刑を続けることを示唆する場面で終わり。

孤独なアンチヒーローとしてのブロンソンの存在感は最高。正義の側に立っていないところがいいのである。カウンターカルチャーをひとひねりする痛快な作品。