十戒

十戒」、チャールトン・ヘストンユル・ブリンナーアン・バクスターほか出演、セシル・B・デミル監督、アメリカ、1956

しばらく前にNHKBS2で流していたのを録画で見た。DVD1枚に収めるためにレートを落としてしまったので画質があまりよくないのがざんねん。

この映画は中学生の時に学校の強制で学年ごと映画館に連れて行かれて見たのだが、長尺の映画なのにまったく退屈しなかった。まあ、今これをまるごと見せられたらそうはいかないと思うので、子供の頃は今より集中力があったのだろう。映画のサウンドトラック盤の「序曲」の部分を何回も聴いてよろこんでいた。エルマー・バーンスタインの作曲で、非常にかっこいい。学校放送でかけたら、非常にうけた。信仰心のない子供が見てもおもしろい映画だったのだ。

今回、見てみると、この映画についての記憶がかなり飛び飛びになっていて、いくつかの印象的なシーンばかりを覚えていることがわかった。まず前半の2時間はモーゼが神の言葉と杖を授かるまでの部分にあてられているのだが、ここの記憶がかなりあいまい。モーゼが川に流されて、ファラオの妹に拾われて、といったところはそれなりに覚えているのだが、長子のラメセスとの確執の部分をあまり覚えていない。

モーゼは王女のネフレテリ(アン・バクスター)といい仲で、それがラメセスの嫉妬を買っているのだが、このあたりの記憶も曖昧。もともとこのくだりがあるから、後半の過ぎ越しの災いやラメセスのかたくなな態度の伏線が張られているのだが、その辺は記憶からスルーされていた。

モーゼが荒野を旅して、ヘブライ人の娘達に拾われるところはよく覚えていた。姉妹7人で男がおらず、モーゼはモテモテなのだが、目がギラギラしている妹たちをさしおいて1人だけすましているセファラが結局モーゼを自分からガンガン口説いているのにはあきれた。字幕は控えめな表現にしてあるが、台詞はもう露骨に迫っている。

モーゼが神の啓示を授かるところはアニメ合成だが、神様をあらわす火の輪はちょっと表現がわいせつ・・・?そんなことを思いつくのは不信心者だけか。

ここで休憩が入って、いよいよ出エジプトの場面。ファラオのかたくなな態度とエジプトの災厄は、非常によく覚えていた。杖がヘビに変わるところ、水が血に変わるところ、などなどここだけ記憶が強烈なのだが、実際はこの場面は30分ほどしかなく、むしろエジプトを出る場面のヘブライ人の喜びとその後のファラオの変心、紅海が割れる場面にかなり時間が割り当てられている。

その後はいよいよモーゼが十戒を授かる場面。元奴隷監督のヘブライ人が、モーゼがいなくなって不安にかられるヘブライ人たちを扇動して金の仔牛をつくらせて淫猥大宴会になる場面。いま見ると酔って乱痴気騒ぎに浮かれているだけだが、これでも敬虔な信者にはかなりショックだったのだろうか。女の子の手足を引っ張ったり、押し倒したりしているが、なにしろ具体的な描写はなにもないから・・・。

神様が火で石板に十戒を焼き付ける場面は印象が強烈。モーゼが石板を抱いて、大宴会の場に戻ってくると、怒りで石板を金の仔牛に投げつける。そんなことをしたら大事な石板が・・・と思うのは素人のあさはかさで、いきなり地割れが起こって悪人どもはみなのみ込まれ、なぜか石板は無事。

それからいきなり40年の放浪(これが本物の神罰)が終わって、ヘブライ人たち(とにかくすごい数)はやっとヨルダン川のほとりに。モーゼは目的の地を眼前にして、昔の過ちに対する罰で自分は川を渡れないと言って、ヨシュアに衣と杖を授け、モーゼ五書を預けて一人山に去る。

最後に画面に出るのは、石板と、So it was written So it shall be done の言葉。そのように書かれた、そのとおりになされるべし。3時間40分あまり、一巻の終わり。