新国立劇場 ジークフリート

ワーグナー  「ジークフリート」、クリスティアン・フランツ(ジークフリート)、ヴォルフガング・シュミット(ミーメ)、ユッカ・ラジライネン(さすらい人)ほか出演、ダン・エッティンガー指揮、東京フィルハーモニー交響楽団新国立劇場、2010.2.20

先週の土曜日の新国立劇場ジークフリート」公演に行ってきた。去年の2月、3月に「ラインの黄金」(これは行き損ねた)、「ワルキューレ」がかかり、今年の2月に「ジークフリート」、3月に「神々の黄昏」がかかるというもの。去年「ラインの黄金」に行き損ねた反省で、今年はちゃんと「ジークフリート」「神々の黄昏」のチケットを買ったのだ(ヤフオクで)。さすがに、26000円以上するS席は買えないので、やっすいD席。それでも新国立劇場では十分たのしめる。

キース・ウォーナーの演出は、いろいろとキッチュな感じのアイテムがいっぱい出てくる。わたしにとっては十分楽しめた。第1幕はキッチンみたいな部屋で、それがかなり傾いている。ノートゥンクを鍛えるのも、料理をつくる感じ。なにしろ、削ったノートゥンクのかけらを電子レンジに入れてチンするのである。ジークフリートは、スーパーマンのTシャツを着せられていて、まったくアホの子扱い。まあ、事実アホの子みたいなことしかしてないのだが・・・。この役を歌うクリスティアン・フランツは、えらくブクブクとふくれていて、見た目は藤子マンガのガキ大将みたい。しかし、声は若々しく、しっかりしている。

このジークフリートよりも、さらによかったのがミーメ役のヴォルフガング・シュミット。断然声が出ている。はっきりいって、このオペラではジークフリートよりミーメの方がだいじ、と、個人的には思っているのでとても満足した。くだらない悪だくみやいかにも小人物なところも、きちんと表現されている。

第2幕のファフナージークフリートの戦いは、巨大な竜のおもちゃが出てくるのかとおもいきや、全身タイツの人がバラバラと出てきてジークフリートと斬り合いをするというもの。これはちょっとどうよ。この場面以外、第2幕はモーテルの部屋みたいな舞台が2部屋つづきになっていて、第1場のさすらい人とアルベリヒのやりとりは、2人が別々の部屋に入って、壁越しに問答しているような演出になっている。この意味がよくわからない。しかし、ミーメとジークフリートのやりとりは、この装置を非常にうまく使っている。ミーメがついついジークフリートを殺そうという本音を語るときだけ、ミーメは別室に退き、ミーメの顔は部屋の中にあるモニタに映るのだ。これはなかなかうまい演出。森の小鳥は、なんだか大きなペンギンみたい。いちおう宙乗りで空を飛んでいる。

第3幕は、前作「ワルキューレ」の舞台を引き継いでいて、舞台中央に巨大なベッド(病院の患者が寝るみたいなもの)が置かれ、ブリュンヒルデはその中央に寝ている。舞台奥では本物の火が盛大に焚かれている。この辺の演出はここでしか出来ないだろう。しかし、ジークフリートがはじめてブリュンヒルデを目覚めさせる場面では、幕が下りていて、そこに「ワルキューレ」の最後の場面にあった「わしの槍を恐れる者はこの火を越えてはならぬ」というドイツ語の字幕が横に流れていくのが見えるだけ。かんじんのブリュンヒルデは見えないのである。なぜこういう演出?これもよくわからない。

最後のジークフリートブリュンヒルデの二重唱はきれいに決まっていて、よかった。まあ、その前のブリュンヒルデが求愛の受け入れをためらう場面はたいくつなので、最後の場面は盛り上がらないとこまるのだが。終わって、めでたしめでたし。

14時開演で、終わったら20時過ぎ。休憩込みだが6時間以上もかかるのだ。はっきりいって、第1幕はちょっとうとうとしてました。終わった後は本当にクタクタ。歌手や楽員はそれどころじゃなく、クタクタだと思うが・・・。「神々の黄昏」はもっとかかるはずなので、今からため息が出る。

でもわからないところも含めて、舞台は十分たのしめた。歌手はジークフリートとミーメ以外も高水準。オケはまあまあだと思う。アジアの東の果てでもこれくらいおもしろい舞台ができるんです、ということを示してくれた貴重な公演。関係者のみなさん、おつかれさま。