ブラタモリ 浅草

ブラタモリ」 「浅草」、2010.1.21

先週のブラタモリをやっと見られた。浅草雷門は1960年の再建で出来たもので、江戸末期に焼けて以来、あそこに門はなかったという話にまず感心。浅草といえば雷門というイメージは、せいぜい40年くらいの間にできたものだっということだ。

それからNHKの権力で、伝法院を開けさせる。浅草一帯は、江戸時代には寺町で、浅草寺を中心に寺だらけだったところ。タモリは東京唯一のちゃんとした寺院庭園だと絶賛していた。たしかに浅草寺五重塔がちょうど遠景に見えて、とてもいい感じの庭である。京都では寺の庭がめずらしくないので気がつかなかったが、確かに東京には大名庭園はあっても、寺院庭園はほとんどない。ここは完全非公開というわけではなく、時期を限って一般公開もしているようだ。ちょうどいい時期に出かけるのがむずかしそうだけど・・・。
http://torapi.fc2web.com/200810denbouin.htm

次は浅草寺の隣にある江戸時代の芝居町、猿若町。とはいえ、猿若町が芝居町になったのは天保の改革以後のことでその歴史は短いものだったらしい。いまでは当時の面影はほとんどないが、歌舞伎の小道具屋がいまでもあって、実際にビルの中に漆喰の蔵があり、そこに鎧兜刀がぎっしりと収納されていた。暫で海老蔵が使った大太刀を出してきて、タモリはうれしそうにしていたが、あまりに重いので途中でもてあましていた・・・。

それから浅草六区通り。むかし、戦前から戦後の昭和26年まで、池があり、その周りの地区はみな映画館だった。映画の黄金時代のことである。写真を見ると、客の多くがパナマ帽をかぶっていて時代を感じさせる。考えてみれば、わたしが見ている比較的古い時期の映画はほとんど1950年代後半以後のもので、映画がテレビに押されて斜陽になりかかった後の時代の作品しかない。サイレントやトーキー初期のものは知らないのである。番組に出てくる昔を知る人たちはみな「昔の賑わいはすごかった。いまは浅草もさびれてしまった」と嘆いていた。浅草の栄光の時期は短かったのである。ちょっと感慨深かった。