三国演義 智取南部

三国演義」第40集 「智取南部」

曹操を討ちもらした関羽が悄然と劉備の陣に戻ってくるところから。関羽の首を斬れと命じる諸葛亮に、張飛をはじめ将軍全員、果ては劉備まで土下座して許しを請う。後で諸葛亮は、劉備に「関羽に義理を尽くさせてやったのです」と。諸葛亮やらしいなあ。これは魯迅が怒るのももっともである。

一方ようやく 南郡にたどりついた曹操は「郭嘉さえいれば、こんなことにはならかったものを」と声を放って泣く。曹操が泣くのは典韋が死んだとき以来か。しかしあなた、さんざん程昱に忠言されていたじゃないですか。献言を無視されてこんなことを言われる程昱も立場がないなあ。

周瑜劉備が南郡を奪おうとしているのを知って、ただちに劉備の下を訪ねるが、諸葛亮の策略にかかって、「江東が南郡をとれなければ、劉備がとることを認める」誓約をさせられる。このあたりの細かい叙述は演義どおり。

南郡を守っているのは曹仁だが、曹操から危急の際の策をさずかっていて、これにかかって周瑜は勝てない。周瑜自身も傷を負い、ようやく南郡をとれると思ったそのときには、劉備軍の旗が南郡にひるがえっている。さらに諸葛亮は、曹仁の兵符を使って襄陽をとる。周瑜はあまりのショックで血を吐いたあげくに昏倒。呉は見ていて哀れをもよおしてくる。まあ後々それだけ劉備陣営にお返しをすることになるので、あんまり同情もできないが。それにしても周瑜の役者はやっぱりかわいそう。