林哲司・半田健人の昭和音楽堂 「音楽ディレクター高嶋弘之特集」

林哲司半田健人の昭和音楽堂」 「音楽ディレクター高嶋弘之特集」


今回の特集もぜんぜん知らない人だが、高島忠夫の弟で、高嶋ちさ子の父親で音楽プロデューサー、ディレクター、宣伝マンという人。

【M1】 夜明けのスキャット  由紀さおり(1969年・昭和44年) 
【M2】 天使の誘惑    黛ジュン  (1968年・昭和43年)
【M3】 どこかに幸せが  ザ・ロックキャンディーズ (1968年・昭和43年)
【M4】 思い出の小径  ザ・パニック・メン   (1968年・昭和43年)
【M5】 帰ってきたヨッパライ ザ・フォーククルセダーズ (1967年・昭和43年)
【M6】 小さな日記  フォーセインツ(1985年・昭和60年)

「夜明けのスキャット」は、いずみたく作曲、山上路夫作詞。この曲を由紀さおりの担当ディレクターとして、作詞家、作曲家、編曲家を選び、タイトルや宣伝を決めている人が高嶋氏。歌詞をここまでスキャットでやるということを判断しているのもこの人。

「天使の誘惑」は、レコード大賞受賞曲。歌謡曲エレキギターの音をこの時代に持ってきたのが新しい。半田健人が、黛ジュンから聞いたところでは、もっとハワイアンに近い編曲の版もあって、録音もしていたという。どの版を取るかを決めているのは高嶋氏。

「どこかに幸せが」は、GSがすたれて、カレッジポップスに移行する時期の曲。谷村新司らもかかわっていた。「思い出の小径」もそうで、都倉俊一がバンドに入っている。高嶋氏はこの8月に本を出していて、タイトルが「ビートルズを作った男 レコードビジネスに愛をこめて」。

「帰ってきたヨッパライ」は、テープ早回しで音をいじっている。もちろん新機軸。「小さな日記」は、フォー・セインツに在籍していた人が、後に作曲家やプロデューサーになったという苗床グループ。

音楽業界の横のつながりがどうなっていたのかを説明してくれた回。作曲家や作詞家を誰が選んでいるかは、事情に通じている人しかわからないので、初めて聞く話ばかり。